『それで、イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」』(創世記37:13)
順風満帆なヨセフの人生は、兄たちの手により終わりを告げます。父イスラエルは100kmの距離をヨセフに歩ませる程、息子たちを愛していました。しかし、兄たちは父の心を理解せず、ヨセフの命ごと夢をなきものにし、祝福を奪おうとしたのです。
ルベンは長子の責任感からヨセフを助けようとしますが、感情は続かず弟から目を離します。ユダは殺さないまでも、ヨセフを遠ざけようと彼を奴隷として売り飛ばします。そして、兄たちは自分達の罪を隠し、父にヨセフが死んだと告げるのです。
この章でヨセフの感情は描かれていませんが、兄の目にも明らかな苦しみの中にヨセフはいました(創42:21)。しかし、苦しみの前に神さまはヨセフに希望を与えています。それは、アブラハムに神が与えた契約、そして神がヨセフに見せた夢です。
事実、ヨセフの逆境により家族は飢饉から救われます。この救いは家族に留らず、神の民イスラエル民族を産み出します。
ヨセフの歩みはイエスさまの歩みを示しています。神さまはご自分から離れた子のために、イエスさまを地に送られました。
迷い出た1匹の羊を探すように主はこの地を巡られましたが、愛する同胞に憎まれ、売られました。しかし、苦しみの中で神の計画を希望とし十字架にまで従われたのです。
イエスさまは死んで3日後に蘇られました。そして、イエスさまの苦しみ・絶望を通して、全ての人が父の家に帰る道、いのちへの道を示してくださったのです。この道はイスラエル民族に留まらず、全ての民の救いの道として開かれたのです。
新しい年が始まりましたが、どのような一年か私たちには分かりません。しかし、たとえ苦しみがやってきても、神さまは苦しみを乗り越えられるよう希望を与えてくださるお方です。
今年の聖句は「主の名を呼ぶ者はみな救われる。」です。苦しみのとき、恐れず主の名を呼びましょう。主はあなたを苦しみから救われます。さらに、この世の救いのために益として用いてくださいます。あなたの苦しみは苦しみで終わりません。イエスさまは昨日も今日も、とこしえに変わることのない救い主です。このお方に期待して、今年も歩んでいきましょう。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。』
(使徒2:20-21)
(文責:朋子)
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