『ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女にわが子シェラを与えなかったことによるものだ。」それで彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。』
(創世記38:26)
ヨセフがエジプトへ売られた後、ユダは家族の元を離れます。カナン人と三人の息子を産みます。長男エルはタマルを妻にしますが、子を残さず命を落とします。レビラート婚により次男のオナンがタマルと結婚しますが、子を残さず死にました。
息子たちの死はタマルのせいではありません。しかし、ユダは不吉に思い、末息子が若いことを理由にタマルを実家に帰します。ユダがシェラを与えないことに気づいたタマルは、遊女を装い夫の父ユダによって双子を身篭るのです。
ヨセフが殺されないよう兄弟を説得できる程、ユダは信頼された人でした。しかし、罪が父の目に触れないように、父の元を離れたのでしょう。アダムとエバも罪を犯した後、神さまから身を隠しました。神さまの怒りから逃れようとしたのです。
神の怒りから身を隠して逃れることはできません。しかし、神さまはひとり子イエスを地に送り十字架にかけました。十字架の血は人の罪を覆います。義の衣で覆われた罪は神さまの目に映らず、怒りから救われるのです(ローマ5:9)この義の衣は主イエスを信じることにより与えられます。
ユダはタマルの妊娠により自分の罪を認め、悔い改めました。彼が砕かれたとき、「主をほめたたえよう」と母レアが名付けた姿に変えられました。主が心を喜んだダビデ、そして救い主イエスさまは彼とタマルの子ペレツから生まれます。
悔い改めとは向きを変えることです。神に背を向けることをやめ、神との関係をとりなしてくださるイエスさまに全ての罪、重荷を委ねるのです。重荷を委ねた私たちに与えられるのは、主のくびきです。くびきは家畜を進む方向に導きます。
ユダは悔い改めて、神さまに喜ばれる人生、人を生かす人生に変えられました。私たちも向きを変え、イエスさまを通して神さまの怒りから救われました。主の前に身を低くし重荷を下ろして主のくびきを負うなら、主はあなたを優しく導かれます。主は砕かれた魂を喜び、あなたを礼拝者として生かしてくださるのです。主に喜ばれる人を生かす器として、主の栄光の光をこの地に照らしていきましょう。
『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』
(イザヤ57:15)
(文責:朋子)
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