top of page
  • 執筆者の写真クリスチャン親和会

礼拝メッセージ(2023/1/29)

『ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女にわが子シェラを与えなかったことによるものだ。」それで彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。』

(創世記38:26)


 ヨセフがエジプトへ売られた後、ユダは家族の元を離れます。カナン人と三人の息子を産みます。長男エルはタマルを妻にしますが、子を残さず命を落とします。レビラート婚により次男のオナンがタマルと結婚しますが、子を残さず死にました。

 息子たちの死はタマルのせいではありません。しかし、ユダは不吉に思い、末息子が若いことを理由にタマルを実家に帰します。ユダがシェラを与えないことに気づいたタマルは、遊女を装い夫の父ユダによって双子を身篭るのです。

 ヨセフが殺されないよう兄弟を説得できる程、ユダは信頼された人でした。しかし、罪が父の目に触れないように、父の元を離れたのでしょう。アダムとエバも罪を犯した後、神さまから身を隠しました。神さまの怒りから逃れようとしたのです。

 神の怒りから身を隠して逃れることはできません。しかし、神さまはひとり子イエスを地に送り十字架にかけました。十字架の血は人の罪を覆います。義の衣で覆われた罪は神さまの目に映らず、怒りから救われるのです(ローマ5:9)この義の衣は主イエスを信じることにより与えられます。

 ユダはタマルの妊娠により自分の罪を認め、悔い改めました。彼が砕かれたとき、「主をほめたたえよう」と母レアが名付けた姿に変えられました。主が心を喜んだダビデ、そして救い主イエスさまは彼とタマルの子ペレツから生まれます。

 悔い改めとは向きを変えることです。神に背を向けることをやめ、神との関係をとりなしてくださるイエスさまに全ての罪、重荷を委ねるのです。重荷を委ねた私たちに与えられるのは、主のくびきです。くびきは家畜を進む方向に導きます。

 ユダは悔い改めて、神さまに喜ばれる人生、人を生かす人生に変えられました。私たちも向きを変え、イエスさまを通して神さまの怒りから救われました。主の前に身を低くし重荷を下ろして主のくびきを負うなら、主はあなたを優しく導かれます。主は砕かれた魂を喜び、あなたを礼拝者として生かしてくださるのです。主に喜ばれる人を生かす器として、主の栄光の光をこの地に照らしていきましょう。


『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。

へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』

(イザヤ57:15)

(文責:朋子)

閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

礼拝メッセージ(2023/1/22)

『その女は エリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」』(Ⅰ列王記17:24) 今日は、「信仰による歩み。」です。 聖句は飢饉の時、エリヤの世話をしていたやもめの息子が死に、エリヤの祈りによって生き返った時の言葉です。 ツァレファテのやもめと息子は、飢饉のために一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけの状態に追い込まれました。 そ

礼拝メッセージ(2023/1/15)

『ハレルヤ。 私のたましいよ、主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。』(詩編146:1-2) 私たちは日常生活の中で理不尽だとか、不安に思ってしまうことはたびたびあります。しかし、聖書は生きているかぎり主をほめたたえよう、賛美しようと教えます。 使徒の働き16章ではパウロとシラスが占いの霊につかれた女を、その霊から解放しました。し

礼拝メッセージ(2023/1/8)

『それで、イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」』(創世記37:13) 順風満帆なヨセフの人生は、兄たちの手により終わりを告げます。父イスラエルは100kmの距離をヨセフに歩ませる程、息子たちを愛していました。しかし、兄たちは父の心を理解せず、ヨセフの命ごと夢をなきものに

bottom of page