『わたしは福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』(ロマ1:16)
いま世界は、ロシヤのウクライナ侵攻によって、大きく揺れ動いています。これが神を離れ人間が造り上げたイデオロギーの結末です。
世界には多くの社会体制がありました。しかし、今は大きく分けて、資本主義と共産主義に終結されています。理念は立派ですが、共産主義は、資本主義に敗れました。そのため、共産主義が帝国主義に変わり、ウクライナを自分の支配下に取り入れようとしたのが、今回の戦争となっています。
神様にはこうなることが、みな分かっていました。それで、イスラエルを選び、神の国を建設し、世界のすべての民を救おうと計画されました。しかし、イスラエルはその流れを拒み、他国のように、自分たちの上に王を立てよと要求したのです。このことは、Ⅰサムエル8章に記されています。
しかし、私たちも同じように要求したと思います。聖書は、あなたの敵を愛せよ。と言われて、敵を赦せる人はいません。また、復讐は神様がする。と言われて、納得できる人は少ないでしょう。すべて人間の思いに反しているのです。
私たちは、政治は力だ。と思っています。そのため最も強い力を持った者が勝つと思い。そのため、原爆や水爆を欲しがるのです。これを使えば世界は破滅だと知りながらです。
今日聖書は私たちに、全く新しい道を示しています。それは、資本主義でなく共産主義でなく、神様が治めてくださる、神の国を受け入れよとのことです。これが福音です。これが神様からの良き訪れです。
神様は民を力によって支配するのでなく、また、法によって縛るのでもなく、愛によってたてる。と言われます。これは、私たちの思を超えた常識外のことです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Ⅰコリント2:9)とあるとおりです。
もう一度、神の国について考えてみましょう。神様は私たちを生かすため、ご自分のいのちを死に渡してくださったお方です。マラナタ主よ。来てください。ハレルヤ。
『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。』
(マルコ10:45)
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