『兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。』(創世記37:11)
イスラエルは愛するラケルが産んだヨセフを特別に愛しました。愛の偏りは誰の目にも明らかで、兄弟たちはヨセフを妬みました。ある日ヨセフは夢を見、家族に夢の内容を語ります。
神のことばを明文化した聖書がない時代に、夢は主のご計画を知らせるために用いられました。ヤコブのベテルでの召命も夢によってでした。ヨセフ見た夢は、家族がヨセフを伏し拝むことを暗示するものでした。特別なヨセフに対する兄弟たちの妬みは爆発し、ヨセフ殺害計画へとつながります。
しかし、父イスラエルは違いました。青年ヨセフが見た信じられない夢のことを、心に留めたのです。
同じく、自分の子のことばを心に留めたのはマリヤです。12歳になったイエスさまは、過越の祭りから帰路につく両親から離れ、エルサレムの宮に留まりました。そして、探しにきた両親に「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」(ルカ2:49)と言うのです。
自分たちの子どもとしてでなく、教師として神の子として振る舞う少年イエスの信じ難いことばをマリヤは理解できなくとも、心に留めました。
ヘブライ語の心に留める・シャーマールと言うことばには、出来事やことばを、宝のように大事にすると言う意味を持っています。信じ難い子のことばを宝としたイスラエルは飢饉からヨセフにより救われました。同じくマリヤはイエスさまの奇跡を目撃し、十字架の死と復活の証人となりました。
このシャーマールを主が使うと、契約、約束、人を「守る」と訳されます。主のことばを私たちが心に留める時なら、主がことばを守ってくださいます。
アドベントは、良い状況だけでなく患難もある私たちの人生に、この世に、救い主の到来を待ち望むときです。神はこの世の救いのためにひとり子イエスをこの地に遣わし、御子を信じる者に永遠のいのちを与えると約束されています。
神さまは契約を守られます。完全に理解できなくとも、この良い知らせを心に留めるなら、主があなたの人生にキリスト、救いを与えてくださいます。主のことばは地に落ちることはありません。私たちでなく神がアルファでありオメガです。期待して宝である主のことばを心に留めましょう。主の時に、主の備えた約束の成就が私たちを待っています。
『私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
(Ⅱコリント4:7)
(文責:朋子)
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