『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』(ヨハネ1:9)
約二千年前、一人のみどりごが生まれました。その赤ちゃんこそ、人々が待ち望んだ救い主イエスさまです。そして、イエスさまはすべての人を照らす光として来られました。
昨日積もった雪は、太陽の光によって溶けました。太陽の光が見えた時は主に感謝をしました。私たちは太陽の光を認識しますが、太陽の光は宇宙では白色だそうです。しかし、地上に降り注ぐ際、大気の分子に光がぶつかったり、通過したりすることによって、光は人の目に色で「見える」ようになります。
天におられる父なる神さまを私たちは見ることはできません。アダムとエバが善悪の木の実を食べ、神さまに背いたことによって、神さまと人の関係は断絶したためです。しかし、神さまは回復の計画も立てておられました。アブラハムを選びイスラエル民族を造り、イスラエル民族を通して、神さまの人に対する変わらない愛を示されたのです。
そして、ユダヤ人マリヤによって神さまはひとり子イエスをこの地に遣わしました。イエスさまを十字架にかけ、罪のいけにえとするためです。この犠牲により、神さまと人間との和解の契約は完成されました。神さまの変わらぬ愛を人の目に明らかにしてくださったのです。
主イエスを信じるものは、いのちの光を受けます。そして、約束された救い主、その方は助言者であり、全てを満たす方であり、癒し主です。イエスさまは、神さまの愛を十字架上で明らかにされただけでなく、私たちのこの世での歩みにも介入してくださいます。
では、どうすれば主は介入してくださるのでしょうか。主イエスの名を呼び求めるのです。イエスさまの弟子たちも、いつも問題が起こるとイエスさまを呼び、助けてもらっていました。
主は目には見えませんが、今も生きておられ、主を愛するものと共にいてくださいます。太陽の光が分子にぶつかり可視化されたように、私たちの問題に光である主が触れ、救い主がどんなお方か人の目に明らかにしてくださるのです。
私たちは自分の暗闇を照らそうと、好みの色・強さの光を作ろうと努力し、結果により一喜一憂します。しかし、すでに全ての闇に打ち勝つ光は来ようとしています。まことの光イエスさまを呼び求めましょう。主はあなたのところに来られ、あなたの人生に触れ、あなたに主のご栄光を見せてくださいます。
『主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』(使徒2:20-21)
(文責:朋子)
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