『シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。』(ヨエル:23)
いま世界は混迷を来し。すべての分野で行き詰まりを感じています。しかし、人が神を離れて独立した時より、今日まで、私たちの心に平安がなかったのも事実です。
今日のヨエル書は、B.C.800年代に書かれたものであり、イザヤより古いのです。そして使徒2章には「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。」と記されています。
使徒時代イスラエルはローマの植民地として混迷していました。しかし、イエス様の贖いによって神様に帰る道が開かれ、神様の霊が人の上に注がれたので、人間と神様が一つになる道が開かれました。これは驚くべきことであり、キリスト教会では、これを初めの雨と言っています。
初めの雨と言えば、後の雨もあるわけです。聖書はゼカリヤ10章1節で「後の雨の時に、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。」と告げています。
使徒ペテロは、使徒2章で「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」とヨエル書を引用しています。しかし、この時は終わりの日ではなく、終わりの日の始まりでした。そして、今が終わりの時です。
今この混迷する闇の中から、主に向って御霊の雨を注いでくださるように祈れと、聖書は告げているのです。そうすれば、「日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。」(イザヤ59:19)のみことばが実現されるのです。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時があります。そして、今が後の雨の時です。私たちクリスチャンは熱心に聖霊様の雨を求めましょう。主は応えてくださり。日本はリバイバルで、主を求める人々が溢れるでしょう。
その時、すべての事象は、神様の恵みであり憐れみであったことを知るでしょう。神様の計画は、わざわいではなく。平安を与える計画であり、私たちに将来と希望を与えるためのものだからです。ハレルヤ。アーメン。
『彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。』(マルコ16:20)
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