『またヤコブは、アラム人ラバンにないしょにして、自分の逃げるのを彼に知らせなかった。彼は自分の持ち物全部を持って逃げた。』(創世記31:21-22)
ヤコブはラバンに欺かれながらも主によって富みましたが、ラバンと息子たちは彼を妬むようになります。肉親であるレアとラケルさえよそ者のように扱われました。彼らは主の言葉に従い、約束の地に帰ることを決心します。
ベテルの主の約束を希望にし、ヤコブは20年を耐え抜きました。しかし、彼らは逃げるようにラバンの元を離れます。20節の「ないしょにして」という言葉は2017年訳では「欺いて」と訳されます。彼の人を騙す性質が、不満や怒りによって表面化ました。ラバンの欺きに、ヤコブは欺きで応答したのです。
この欺く(ガーナーブ)という言葉は「心を盗む」と直訳されます。心は人間の中心、主体です。ラバンが関わることができないように、ヤコブはラバンを出し抜きました。 初めて人を欺いたのはエデンの園のヘビです。ヘビは神さまへの不信感をあおり、エバを欺きました。さらに、罪を犯したエバとアダムは罪を隠そうと神を欺きます。この性質は子孫に受け継がれ、欺きには欺きで返すことが当然となりました。
現実には、私たちを欺き、心を盗む誘惑が多くあります。しかし、誘惑が多くある異国の地で、欺かれなかった人がいます。ダニエルです。彼は異国の王に仕えながらも、自分の身を汚すまいと心を主に定めました。主は、ダニエルの心と身体を守られました。そして、彼を祝福し、大きく用いられたのです。
欺く者サタンに女の子孫が勝利すると、神さまは宣言されました(創3:15)。その通り、女の子孫であるイエスさまが十字架でサタンに勝利されました。十字架で流された血は私たちの罪の代価です。欺きの負の連鎖から私たちは解き放たれたのです。
イエスさまは欺きに対して赦しで勝利されました。そして、私たちの心を照らし、キリストによって神の栄光を知るようにしてくださいました。それこそが私たちに与えられた宝です。
宝のあるところに私たちの心はあります(マタイ6:21)。また、天に蓄えられた宝は盗まれません。キリストの宝を受け取った私たちの心は、天におられる主と共にあるのです。
主に心を定めたダニエル同様、キリストの心と共にある私たちを主は守られます。主からの宝を心に据えましょう。赦しと平和の使者として、主があなたを用いられます。
『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。』(ローマ16:20)
(文責:朋子)
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