『エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。』
(創世記5:24)
昨日、小坂 忠 師の葬儀があり、親和会からは三人が出席しました。それで聖句はクリスチャンを示すエノクです。
小坂師はロックシンガーとして、トップを走っていたとき、キリストの愛に触れてクリスチャンとなり、詩篇137に感動し、自分をゴスペルシンガーとして世に現わしました。しかし、芸能界を引いてゴスペルシンガーになることは、経済的苦しみを覚悟しなければなりません。それでも小坂師は苦しみを選ばれました。
「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」と聖句は告げます。これは、クリスチャンの携挙を表していると言われています。
携挙という言葉は、あまりなじみがありません。これはクリスチャン用語で、地上での死を迎える前に、神の国に入れられることを言います。そして、このことはクリスチャンに約束されているのです。
しかし、ペテロもパウロも他の多くの聖徒たちも、みな地上で死にました。それでもパウロはこう記しています。「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」(Ⅰテサロニケ4:16・17)
このような聖句を聞くと、聞きたくないと思う聖徒も多くいます。あまりにも自分の常識と離れているからです。その人は自分の常識を偶像としているのです。
「エノクは神とともに歩んだ。」とあります。エノクも私たちと同じく、神様を目で見ることはできませんでした。彼が、神様とともに歩んだのは、神様のみことばを信じて行ったからです。私たちも、エノクに倣いましょう。
小坂師は、4月17日のイースターで講壇に立ち、「今日は何時もより多くの人が来ていますが、たぶん、私の最後だと思って来られたのでしょう。しかし残念でした。私は30日に舞台に立ちます。そして、それが最後となります。」と死を超越していました。まことに神様の演出による見事な生涯でした。
栄光が神様にあるように。ハレルヤ。アーメン。
『わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる』
(イザヤ55:11)
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