『彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度は主をほめたたえよう」と言った。それゆえ、その子を彼女はユダと名づけた。それから彼女は子を産まなくなった。』
(創世記29:35)
ヤコブの結婚生活が始まりました。レアにとっては夫から「ラケルよりも愛されていない」ことを実感する日々です。普通なら諦めたくなる状況です。しかし、契約のゆえにヤコブを見捨てなかった神さまは、レアのことも見捨てられませんでした。
神さまはレアを憐れみ、子どもを与えられました。子どもは主の賜物で胎の実は報酬です(詩篇127:3)。神さまの祝福を受け取ったレアの心は変えられていきます。
神さまはレアの心を見(ルベン)、声を聞(シメオン)かれました。レアが初めに求めた、夫に一番愛されたいという願いは叶いません。しかし、主の賜物は神さまがレアをヤコブの妻として召命した証です。彼女は、神さまの選びによってヤコブと結び(レビ)つけられたことを理解しました。そして、彼女の目はついに主に向き、主をほめたたえ(ユダ)るのです。
レアの目が弱々しかったという表現は、別訳では優しい、柔らかいとされます。目はその人の性質、心を表します。レアは困難な状況の中でも諦めることなく主に祈り続けました。W.E.バインは「神がどのように自分を取り扱われても、それを良しと認めて、文句を言ったり抵抗したりしない」姿を柔和と言います。まさしく、レアの心、生き方です。
「柔和なものは幸いです、その人は地を受け継ぐからです」(マタイ5:5)。その通り、主の計画に従ったレアの産んだユダからダビデ、そしてイエス・キリストが誕生します。アブラハム契約で約束されたイスラエル王国、そして永遠の王国である神の国をこの地に産み出される基として用いられたのです。
私たち一人一人にも、主は召命と賜物を備えておられます。私たちに与えられた救いは、イエスさまが十字架で流された血によって結ばれた契約です。この救いも、私たちが神さまを選んだ結果でなく、神さまの選びにより与えられた恵みです。
思い通りにならない現実に、神さまの選びとは何かと私たちの心が追いつかなくとも、主は主の心を知るように導いてくださいます。レアの初めの願いは、神さまを求めていない的外れなものでした。しかし、主ご自身が神さまを知る心にレアを導かれたのです。主は必ず祈りに応えてくださいます。6月5日の聖日はペンテコステです。主の前にとどまり祈りましょう。
『まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』(詩篇1:2−3)
(文責:朋子)
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