『ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』(マタイ28:6)
イエスさまは十字架で死んで墓に葬られ、三日目に蘇られます。そして、愛するものたちのところに戻ってこられました。しかし、マリアたちの心は、主の死という悲しみ、失望、恐れに満たされていました。主のご遺体がない状況を見ても、復活されたとは思えませんでした。
たとえ良いものでも、予期しない出来事に対して警戒心や恐怖心を抱くのが人間です。しかし、マリアたちは恐れながらも御使いのことばを受け取ります。ついにイエスさまに再会した彼女たちの心は恐れから喜びに満たされます。そして、地位も権力もない彼女たちが、復活の証人として用いられたのです。
イエスさまは確かに十字架で血を流し死に、葬られ、よみに下られ、死に勝利し復活されました。イエスさまは十字架の死により、悪魔という死の力を持つ者を滅し、死の恐怖の奴隷となっていた人間を解放されました(ヘブル2:14-15)。永遠のいのちと新しい歩みを与える道を主が備えてくださったのです。
この赦しと解放はイエスを主と信じるものに与えられる恵みです。神を見ずに生きてきた人生から、向きを変えて、イエス・キリストを通して神に向かって生きる人生を歩みたいと願うものに与えられるのです。
イエスさまはご自分の死と復活までの期間を陣痛に喩えられました。イエスさまを主と信じるなら、キリストと共に死と復活を味わいます。あなたの周りに痛み、苦しみの状況があったとしても、それはあなたを恐れの鎖に繋ぐためのものではありません。主がなさる新しいわざが始まるしるしです。
命は陣痛を経て誕生します。誕生の喜びの大きさは、陣痛の苦しみを忘れるほどです。私たちは痛みと苦しみの中で、死に勝利したイエスさまの復活の力を味わいます。そして、痛みや苦しみを忘れるほどの大きな喜びを受け取るのです。
今は終わりの時です。病、争い、災害のニュースが溢れています。多くの人は主のご計画を知らず、恐れの鎖に繋がれ苦しんでいます。しかし、これらは産みの苦しみの初めです。
主の復活を体験した私たちは、マリアたちと同様恐れの鎖から解放されました。復活の証人とされたのです。私たちの影響力の有無は関係ありません。主の召しを受け取りましょう。
『あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」 (Ⅰペテロ1:7)
(文責:朋子)
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