『その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」』
(ヨハネ12:12-13)
今週は受難週であり、15日が受難日です。世界はこの日のために造られていた。と言っても過言ではありません。しかしだれも気付きませんでした。
イエス様は「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と、仰いました。肉によって生まれた者は肉であり、霊によって生まれた者は霊です。と告げられたのです。
イエス様は全人類の罪の代価を、ご自身の命によって支払うため、エルサレムに入城されました。
しかし、盲人の目を開き、病人を癒し、死人をも生き返らせ、不可能のないメシヤと聞いた民衆は、ローマの植民地から、力によって解放される救い主として、熱狂的に歓迎したのです。
しかし、イエス様はペテロに「剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイ26:52)と教えられました。力によっては真の平和は造られないのです。真の平和は、愛によって築かれると言うのです。そして真の愛は、神ご自身である、と聖書は示しています。
肉である人間には、神の愛はないのです。
人間は神様に敵対して生きています。そして神様に敵対していることも知らないのです。そのような私たちを救うために、イエス様はエルサレムに入城されました。
大歓迎されてエルサレムに入城し、6日後に指導者の讒訴によって十字架にかけられたのです。しかし、イエス様はすべての状況を察知された上で、受け入れてくださいました。
それは、「イエス様を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。」と聖書が示すからです。その永遠のいのちとは、神の愛です。
讒訴によって、イエス様を十字架につけた指導者たちが、「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」とあざけったのですが。イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られました。ここに、私たち罪人を愛される、神様の愛があるのです。ハレルヤ。アーメン。
『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
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