『アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。』(創世記25:11)
アブラハムは175歳で平安な最後を迎え、マクペラのほら穴にサラと共に葬られました。正式な後継としてイサクが選ばれます。イサクには財産を継がせる一方、他の子ども達には贈り物を贈り、争いが起きないようアブラハムは備えました。
父の死後、神がアブラハムに与えた祝福をイサクは継承しました。アブラハムのように、直接神から語られる方が強く確信を得るように感じます。しかし、人は見えるものに従うのです。事実、アブラハムは度々目の前に起こる現実に動揺し、多くの失敗をしました。
しかし、イサクは違います。母サラと同じくリベカは不妊でした。祝福の継承にあたり、子を産むことはとても重要です。けれども、イサクもリベカも他の女性によって子を持とうとはせず、かえって神を信頼して祈り、子どもを与えられました。アブラハムという信仰の模範を見続けていたからです。
私たちもイエスさまのことを見ずに信じています。そこには神さまの救いの計画があり、聖霊さまの導きがあるのです。そして、私たちの救いを願って祈り、イエスさまのことを語る人がいます。目ではイエスさまの姿を見なくとも、信じることができるように神さまは道を備えてくださったのです。
私たちは、イエス・キリストの十字架の贖いによって救われました。信じるものの心に注がれる聖霊さまによって、新しく神の民として生きるものとされるのです。
これは異邦人に突然与えられたものではなく、旧約聖書でイスラエルに結ばれた神の契約(エゼキエル36:24〜28)の成就です。イサクは父の死後、神がアブラハムに与えた祝福の契約を継承しました。別物の祝福ではないのです。イエスさまが十字架で血を流して死に、遺してくださった新しい契約です。
大祭司として神と永遠の平和の契約を結び、罪のないご自分をいけにえとして捧げ、私たちに永遠のいのちという祝福を継承させるために備えてくださったのがイエスさまです。
そして、イエスさまこそ最高の信仰の模範です。主の霊である聖霊さまは、私たちにすべてのことを教え、主のことばを思い起こさせてくださいます。恐れることなく、おののくことがないよう、私たちに平安を与えてくださるのです。信仰の創始者であり完成者であるイエスさまの姿を覚え続けましょう。
『こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。』(ヘブル9:15)
(文責:朋子)
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