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執筆者の写真クリスチャン親和会

礼拝メッセージ(2022/2/20)

『イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホポテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」』(創世記26:22)


 冬季オリンピックが開催されています。世の祝福は人間の努力や向上心と深く結びついています。しかし、神さまの基準は違います。柔和なものが地を受け継ぐ(マタイ5:5)のです。

 ヘブライ語で柔和(アーナーウ)は、元々抑圧された奴隷状態を意味することから、神に完全服従する姿を指します。イサクは、エジプトに下るなという神さまの命令に聞き従いました。

 しかし、飢饉やペリシテ人の存在、次々と井戸を埋められる不条理など、多くの問題が起こりました。イサクも妻リベカを妹と称して保身に走るという父アブラハムと同じ失敗をしました。しかし、神さまはイサクを守り、飢饉の中でも100倍の収穫を与え、妬まれるほど栄えさせました。

 神さまに完全服従して約束の地にとどまり、敵にも悪意を悪意で返さないイサクはまさに柔和な人です。神さまはイサクに争いのない広い所を与え、ふえるように祝福されました。

 イエス・キリストを信じる人は、選ばれた種族、王である祭司です(Ⅰペテロ2:9)。祭司であるレビ人は土地ではなく、神ご自身をゆずりとして受け取りました(ヨシュア13:33)。キリストを信じる私たちも主ご自身が私たちのゆずりです。ですから、キリストにとどまることこそ、祝福を受け継ぐものの姿です。

 善悪の知識の木の実を食した人間に、神のことばに完全服従する柔和さはありません。しかし、神のあり方を捨て、自らを低くして十字架にまでかかられたイエスさま(ピリピ2:6-8)が私たちを柔和に導いてくださいます。キリストにつくものは、自分の肉を情欲や欲望と共に十字架につけ、御霊によって生きるようにされます。御霊の実である柔和を結ぶのです。

 キリストともに生きる人生は競争(マラソン)に例えられます。順位を競うのではなく、走り抜いた全ての人に神さまの栄冠が与えられます。しかし、自分の努力で長い道のりを走り抜くのではありません。イエスさまが私たちの重荷をおろさせ、くびきを共に負って走るべきコースに導き、ゴールまで並走してくださいます。どのような状況でもキリストの内に留まりましょう。主があなたを祝福から祝福に導き続けてくださいます。


『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』(ヨハネ15:5) 

 (文責:朋子)

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