『こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』(Ⅱコリント5:20)
今日は「神様との和解」です。
和解は、私たちが罪を犯しました。お許しください。と罪の代価を支払い謝ってできることです。しかし、私たちには、神様に対する罪責感がありません。それでは謝ることもできません。そのため法律を破って自分の罪を知っている人の方が先に救われるのです。
しかし、本当の罪は神様に対する罪です。神様は私たちのため、天と地と万物を造り、すべての被造物を私たちに与えてくださいました。しかし、私たちはそれに満足できず、神様の地位を求めて、神様から離れました。これが人間の罪の根本です。
そのため、すべての人が神のようになって、私の言うことを聞いて従えと言うのです。人の集まるところでは争いが絶えず、ついには、民族は民族に国は国に敵対して争います。
そればかりか、自分の利益のため自然も破壊し修復不能です。それが今の時代となっています。聖書はこのことをはっきりと示しています。
このような私たちに神様は、キリストを与え、わたしに帰りなさいと懇願しているのです。キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架につき最後に「完了した。」(ヨハネ 19:30)私たちの罪の代価を完済した。と言われて、息を引き取られました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これより大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:12)イエス様はこのみことばを実行してくださいました。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちがこの方にあって、神の義となるためです。」(Ⅱコリント5:21)とあるとおりです。
私たちはこのことを知り神様に帰って、私たちを創造してくださった目的に向かって進もうではありませんか。そこに使命があり、喜びがあります。この世界で目的なく創造されたものは何もありません。すべてのものは使命を帯びて造られています。
ハレルヤ。アーメン。
『それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。』
(ヨハネ17:21)
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