『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。』(ガラテヤ3:13)
聖書は、1500年の時間をかけ、50人ほどの人によって書かれています。これは旧約聖書と新約聖書からなっており、神様と人間の契約に基づいています。
旧約聖書はモーセの律法に従い、神様との契約を守れば救われる、と教えるものです。しかし、完全に契約を守った者はいないと聖書は示します。すべてが失格者です。
それで、新約聖書が著されました。キリストを信じれば誰でも救われると言うのです。キリストは救い主の意味です。
イエス・キリストは罪のない神の子でした。そのお方が、私たちの罪の身代わりとして、私たちの罪の代価を支払ってくださると言うのです。他人が、私の借金を支払うと言うのです。これは素晴らしいことです。
誰でも、「イエス様は私の罪の身代わりとして、十字架で死んでくださり、三日目に死を打ち破って生き返りました。」と信じて言えば救われます。そして、キリストを通してアブラハムと神様の契約にあずかり、信仰によって、約束の御霊を受けるのです。御霊は神の子となった保証です。
此処で肝心なことは、自分が罪人であることが分からないことです。自分は法律を守り、刑罰を受けたことはありませんと言うのです。確かにそうです。
しかし、神様に対しては罪人です。神様は、私たちを目的に従って造られたのに、私たちは、神なしとして自分勝手に生きてきました。これが神様に対する罪です。
そのため人間関係は破たんし、民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、戦争が起きています。また、自然は破壊され、修復不能となりました。この状態を救うことができるのは、目的をもって人間を創造された、全能の神様に帰ることです。
全能の神様は二千年前に、この時代を指して預言し、時代は預言のとおりに進んでいます。驚くばかりの正確さで進んでいるのです。神様に帰りましょう。神様は報酬を求めず、恵みによって、豊かに救ってくださいます。ハレルヤ。アーメン。
『私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福と呪いを、あなたの前に置く、あなたはいのちを選びなさい。』(申命記30:19)
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