『こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。』(Ⅰコリント13:13)
今日はいつまでも残るもののひとつ、「信仰」がテーマです。
今コロナウイルスの中で、癒しについて考えざるを得ません。しかし、癒しについて祈る人は少ないのではないでしょうか。
イエス様は、弟子たちに「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」(マタイ17:20)と告げています。
確かに、からし種は小さく、ごま粒の半分もありません。しかし、蒔いたところ木になり多くの実を結びました。ただ庭に蒔いただけです。他には何もしていません。
聖書は「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ロマ10:17)と告げています。
私たちが自分の主観的考えを離れて、単純に、聖書のみことばを人々の心に蒔けば、それは芽を出して実を結ぶのです。これが、普遍的な癒しの法則です。
イエス様は、「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)と告げています。偉大な癒し人は、イエス様のみことばをたくさん知っている人のことです。あなたもみことばを覚えれば同じです。
へブル書4章12節で「神のことばは生きていて、力があり、」と告げています。私たちがみことばを覚えて、知らせてあげることが肝要です。宣べ伝える者がいなければ、知ることができないからです。みことばの種を人々の心に蒔けば、種、本来の力によって、芽を出し、花を咲かせ、実が生るのです。
信仰の種である聖書のみことばを、人々の心に蒔けば、神様が働いてくださるのです。聖書は、「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16:20)とみことばの証を保証しています。
人々にみことばの種をまき続けましょう。聖書は、少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。とあるからです。アーメン。
『神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』(コロサイ2:15)
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