『言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」』(創世記24:27)
年齢を重ねたアブラハムは、イサクの花嫁探しを始めます。これは、神から与えられた祝福の契約の継承に対する備えです。イサクの花嫁の条件は、カナン人でないこと、アブラハムの親族であること、そして約束の地に共に住むことです。
唯一まことの創造主なる神のみを信仰することが、神の民にとって一番の重要事項です。アブラハムが父の家を出て主が示す地へ行くことから、祝福の約束は始まっています。アブラハムの神への信仰のあらわれです。ですから、イサクと花嫁が約束の地に住むことが必須となったのです。
さて、聖書は花嫁について、教会を指しています。教会とは神の霊が住われる私たち一人一人が最小単位です。キリストの体として、各器官が集められた教会はその最たる姿です。
神さまは生きたアダムを眠らせ、脇腹から肋骨を抜き、その妻エバを造りました。そして、神さまは最後のアダムであるイエスさまを十字架で眠らせ、脇腹から血を流させ、花嫁を招く道を造られたと言います。ですから、アダムがエバを「私の骨からの骨、肉からの肉」(創世記2:23)と呼んだように、私たちもキリストのからだの部分(エペソ5:30)なのです。
教会は花婿キリストの助け手です。花嫁なる教会が傷もしみもしわもない姿に完成されるために、私たちは世界宣教の働きに召されています。しかし、これも人間の力や自分の感情によって動くなら、私たちはすぐに疲弊します。
花嫁探しには、花婿の父アブラハムが道を示し、しもべを遣わしました。ユダヤ人の結婚には花婿と花嫁を結びつける結婚仲介人「シャドハン」を両親が雇い、結婚に導きます。私たちを花婿イエスに導くのは、シャドハンである聖霊様です。
私たちは花嫁でありますが、同時にシャドハンなる聖霊さまと一つです。父なる神が示す道を通り、備えられた花嫁に導かれます。その熱意と促しは、私たちの内に住まわれる聖霊さまから受けるのです。聖霊さまは臆病の霊ではない、力と愛と慎みの霊(2テモテ1:7)です。新しいシーズンに入るこのとき、全てを創造された神に、全ての計画をたてられたイエスに、神の祝福に導いてくださる聖霊さまに、期待しましょう。
『あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。』
(イザヤ52:12)
(文責:朋子)
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