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  • 執筆者の写真クリスチャン親和会

礼拝メッセージ(2021/12/12)

『彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。』

(マルコ5:27-29)


 今日は、「生命との出会い。」です。

修行や宗教では、私たちの人格や環境を変えることはできません。私たちを変えることのできるお方は、イエス様お一人です。 

 私たちに大切なことは、自分の生涯の中で、イエス・キリスト様にお会いすることです。人生の中でイエス様と個人的な体験をし、変えられた人がクリスチャンです。

 私たちはどうして、そのような体験をすることができるのでしょうか。先ず、何よりもイエス様に出会いたいと言う、切なる願いを持つことです。聖書で「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(ルカ11:9)とイエス様は告げています。

 聖句の女性は12年間長血でした。当時の慣習で、長血の患いは汚れとされていました。そのため、人に触れられなかったのです。しかし、彼女の病が癒されたいと言う熱心が、イエス様との出会いを生み出し、イエス様の着物にさわりました。事の次第を知ったイエス様は、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と祝福されました。

 今日はアドベントであり、イエス・キリスト様がこの世界に来てくださったことをお祝いする時です。聖書はこのことについて「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(ピリピ2:6-7)と告げています。

 パウロはこのイエス様の愛に応えて、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)と告げています。私たちも見習いましょう。アーメン。


『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(Ⅱコリント5:17)

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