『すると、神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたにいうことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が皆、あなたの子孫と呼ばれるからだ。』(創世記21:12)
アブラハムの二人の息子は別離の人生を歩み出します。イサクの乳離れを祝う最中、サラはある場面を目撃します。それは、ハガルの息子イシュマエルが、イサクを笑いからかう姿です。
その光景は不妊を笑われた悲しみ、神の約束を笑った自分に対する悔い、そのような感情をサラに思い起こさせたでしょう。彼女はハガルとイシュマエルを追い出すよう夫に頼みます。
神さまは、サラの願いを許されました。しかし、ここに神さまの計画があります。神の国とその民は、神が定めた約束によってのみ、生み出されるのです。
イサクはイエス・キリストの雛形です。パウロは救いの条件に割礼を加えようとした人々に「大事なのは割礼ではなく新しい創造です」(ガラテヤ6:15)と教えました。新しい創造とは、「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく作られた者です。」(2コリ5:17)というキリストによる救いです。
神の国の相続人は、肉により生まれるのでなく、約束の子により生まれます。律法によってではなく、キリストを信じる者に与えられる聖霊によって相続人として新しく生まれるのです。
つまり、『ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「主の御名を呼び求める者はみな救われ」』(ローマ12:12-13)るのです。
ハガルはアブラハムの家から出され、奴隷から自由の身となりました。しかし、荒野では無力で、死に直面しました。そのとき、アブラハムの子であるイシュマエルの声に主は応え、井戸を与えました。ただし、井戸の水はいつか枯れます。キリストは永遠に枯れない泉を私たちに与えます。
主イエスの十字架の贖いによる救いを信じるなら、全ての人が救われます。どんな性格でも、病があっても、どのような生まれの人でもです。イエスによって乾くことのない人生を受けるのです。終わりの日に全ての人が主イエスをメシアと主と仰ぐとき、救いが完成します。その日を待ち望みましょう。
『その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは御座にある私たちの神にあり、子羊にある。」』 (黙示録7:9-10)
(文責:朋子)
Comentarios