『サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。』 (創世記21:6)
神さまはアブラハムを選び、神と共に歩む民を起こすと約束されました。しかし、アブラハムとサラは高齢で不妊であったため、神様の言葉を信じられず笑いました。そして、奴隷のハガルによって子を得ようと考え、イシュマエルが生まれました。
しかし、神さまの選びはあくまでも、アブラハムとサラというひと組の夫婦なのです。神さまはその虚しい笑いを喜びの笑いに変えられました。約束の子イサクの誕生によってです。
私たちは時に神さまに背をむけ、罪を犯し、失敗をします。しかし、神さまは決して罪の中に私たちを留められません。かえって、悔い改めに導き、罪を赦し、約束された祝福への回復を願っておられます。その回復とは、主との関係の回復であり、主と共に親しく交わり生きることです。
先日イスラエルでは新年を迎えました。これは記憶の日として知られ、過去一年の罪や失敗を呼び覚まされます。「いのちの書に名を記してください」と大贖罪日まで罪を悔い改め、大贖罪日に赦しを受け取るのです。そして、神と共に親しく仮庵の中で7日間交わる仮庵の祭り、喜びの時へと続いていきます。
イエス・キリストは、私たちの全ての罪を十字架で贖われました。信じる者の名をいのちの書に記し、その罪を海の深みへ投げ入れてくださったのです。そして、私たちの内に住み、共に生きよう、安息の喜びに入ろうと語っておられます。
現在、緊急事態宣言も延長されました。私たちは前進しているのか、何のために生きているのかわからない虚しさを覚えることがあります。そのような虚しさから私たちを救ってくれるのは金や銀でもなくキリストの血の贖いです。
約束の子イサクによってアブラハムとサラの不信仰が喜びの笑いに変えられたように、救い主イエスさまによって私たちは喜びの中にすでに入れられています。神さまは口を大きく開けよ、私がそれを満たそう(詩篇81:10)と言われます。
朽ちることのないパンで、決して渇かせないない水で、喜びに満たす人生をイエスさまは与えてくださっています。たとえ敵の前であっても、その喜びの食卓は整えられています。この恵みに手に伸ばし、味わい知りましょう。
『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。』
(Ⅰペテロ1:3)
(文責:朋子)
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