『姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名付けた。彼は今日のアモン人の先祖である。』(創世記19:37-38)
ロトは自ら選んだツォアルを恐れて去り、山のほら穴で暮らし始めます。ソドムでの財産や人間関係も失って孤立し、娘たちは将来を案じ、実の父により子をもつことを選びます。
そして、モアブ人とアモン人の祖先である二人の子が生まれました。現代のような手厚い社会保障もありません。家族を支えるのはそこに属する人々ですから、生きるために何としてでも子をもうけなければいけないと彼らは考えました。
しかし、ロトには戻れる場所がありました。主が選んだ祝福の基、アブラハムのところです。そこには主が備えてくださった衣食住、全てがあります。しかし、ロトと娘たちは自分たちの力で何とかできると考え、後戻りできなくなっていました。
「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)とイエスさまは語られました。しかし、ロトたちは自分の心が貧しいことも、神を必要としていることを認められませんでした。お金持ちが家を守るために頑丈な塀を作るように、プライドや自信で自分の心を堅く囲んでいたのでしょう。しかし、皮肉にもその壁が神さまの守りを阻み、彼と彼の子孫は神から離れて生きることとなります。
けれども、モアブの子孫ルツは方向を変えました。夫を失い、全てを失ったに等しいルツは、姑のナオミについていくことを決めました。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)と告白し、真の神に立ち返りました。主はルツをボアズとの結婚に導き、彼女からダビデが、そしてイエス・キリストが生み出されたのです。
自分の心が貧しいと認めること、つまり、悔い改めて神に立ち返ることは、大切な家の塀を壊されるように、恐ろしく屈辱的に思えます。しかし、悔い改めこそ主の恵みです。
ロトのように自分でいのちを守ろうと神さまに背を向けていたとしても、悔い改めて神さまに立ち返るなら、ルツのように神の国の相続人とされます。神さまに立ち返る道は、十字架で罪の贖いを完了したイエスさまだけです。主イエスを信じるなら、あなたは義とされ、永遠のいのちに引き戻されるのです。この悔い改めという恵みを受け取りましょう。
『私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。』 (申命記30:19)
(文責:朋子)
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