『すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラがあなたに男の子をうむのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする』(創世記18:19)
神さまはご自分の計画を必ず成し遂げられます。主の選びはアブラハムとサラです。父母を離れ、結び合った一つの体である二人を通して、約束の子イサクが与えられるのです。
イサクを通して契約は成就し、神の国の祝福を流し出す二つの共同体が生まれます。一つはダビデ王により契約の民が一つとされたイスラエル王国です。そして、一つは教会です。
ダビデの子孫として生まれたイエスさまが十字架で血を流し、罪を洗い流すと共に新しい契約を結ばれました。主イエスを信じるものに永遠のいのちを与え、教会を建てられました。
ギリシア語で教会とはエクレシア、ある目的を持って召し出された者たちを意味します。神があらかじめ定めた人々を集め、神の国の祝福を流し出すようにと教会を造られたのです。
アブラハムは自分とサラの老いた体を見て、子を産むなんて無理だと笑いました。しかし、計画を作るのも、いのちを与えるのも、主ご自身です。その計画は決して失敗に終わりません。事実、イスラエルという国家は今も存在しています。
教会はキリストのからだであり、キリストは教会のかしらです。キリストがこの教会のいのちの根源となり、教会を治め、教会の支配と権威のかしらとして治められます。
西洋医学では、病のある器官を切除し治療します。しかし、イエスさまのからだである教会は違います。かえって弱い器官を尊び、ふさわしく組み合わされた互いを配慮し合うのです。
なぜなら、「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることに」(エペソ4:16)なるからです。
今日は聖餐式です。お互いがこのからだに相応しいものとされていることを覚えて、聖餐にあずかりましょう。親和会は新会堂が与えられ2年目であり、種まきと収穫のために備える年です。私たちの罪のために十字架でいのちを捧げてくださったイエス・キリストがかしらとなり、その愛が私たちの間に生きて教会を建てあげてくださいます。期待しましょう。
『どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。』(エペソ3:20-21)
(文責:朋子)
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