『御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。』
(Ⅱサムエル記24:16)
新型コロナウイルスによるパンデミックの中、クリスチャンはどのように生きればよいのでしょう。今日の聖句がその指針となりますように。
これはダビデが人口調査をし、神様から刑罰を受け、三日間の疫病で七万人が死んだときからの聖句です。なぜ人口調査で刑罰を受けたのか解り難いのです。
民数記1章で、主はモーセに「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。」と命じておられます。また、民数記26章でも主は、モーセとアロンに「イスラエルの全会衆につき、父祖の家ごとに20歳以上で、イスラエルにあって軍務につくことのできる者すべての人口調査をせよ。」と命じています。そしてこの時は何事もなかったのです。しかし、ダビデが人口調査した時には疫病が発生しました。
これは神様の主権に関することです。イスラエル民族は神様の民であり、ダビデの民ではありません。神様はダビデを選んでイスラエルの王としました。しかしイスラエルの民をダビデに与えたのではありません。ダビデもイスラエルの民のひとりなのです。ダビデは神様の主権を奪うことになったのです。
いま人々は、遺伝子操作によって、人間に都合の良いと思われる作物を作り、理想的な子孫を造り、果ては新型コロナウイルスまでも造ることが可能となりました。このすべては神様の主権を侵害することです。しかし、もうバックはできないでしょう。進むしかありません。
神様はダビデの祈りに応えて、神様の主権を象徴する場所として、アラウナの打ち場にソロモン神殿を築いてくださいました。神殿は神様の臨在される場所です。
それと同じく、クリスチャンの叫びに応えて、神様はこの地に、大リバイバルを与えてくださるでしょう。私たちの希望は神様ご自身だからです。世界が変わり世が移ろうとも、私たちの希望は変わることがありません。ハレルヤ。アーメン。
『そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。』(ロマ5:3ー4)
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