『私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。』(ローマ15:2)
人はみな愛に渇いています。人は愛がなければ生きていくことはできません。人は愛なる神様のかたちにかたどって創られているからです。この世に憎しみがはびこっている理由は、悪魔の属性である憎しみを受け入れてしまったからです。しかし、根本的に人は愛を望み求めているのです。
愛のあるところには幸せと喜びがあります。愛のないところには不幸と憎しみと苦しみがあるのです。社会がやみ、苦しんでいるのは、人の愛が乏しいからです。
すべての人が愛を受けるものと考えています。それで、先に受けようとするので葛藤と苦痛が伴います。愛は先に自分から与えるものです。神様に愛をささげ、隣人に愛を与えていきましょう。受けようとすれば破滅だけが残ります。
先ず神様に仕えましょう。利己主義を捨てて、神様中心に立って、神様を賛美し、栄光を帰す生活を送りましょう。
そして、人に仕えましょう。妻に、夫に、家族に、親族に、教会員に、疎外された人に、苦しみ悩む人に仕えましょう。
それゆえ、祈るときは、「下さい。」と叫ぶのではなく、「神様、私はあなたに仕えます。教会に仕えます。私に知恵と聡明と健康と物質の祝福をください。」と祈るのです。これらすべては、人々に仕えるために必要なものです。そして、このように祈るならば、神様はすべてご存じですから、私たちに必要なすべてを満たしてくださいます。
しかし、他人を仕えさせようとする人は決して高められることはありません。その人は人生の葛藤の中に陥ります。先ずは他人に仕えましょう。他人に仕える人は自然に高められるのです。
使徒パウロもガラテヤ書の中で「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という一語をもって全うされるのです。」と告げています。神様と隣人に仕える人を神様が高めてくださるからです。
イエス様は、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるように、ご自分の命まで与えてくださいました。私たちも、イエス様から頂いた大きな愛をもって、隣人を愛し仕えていきましょう。ハレルヤ。
『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、いける水の川が流れ出るようになる。』
(ヨハネ7:37)
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