『さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから』(創世記16:2)
ハガルは故郷エジプトから連れ出され、名前も変えられ、アブラムの子を宿すよう命じられました。しかし、女主人サライに従ったにも関わらずいじめられ、心も身体も疲れ果た彼女は故郷エジプトに帰ろうとしていたのです。
神さまの使いが彼女の元に現れ、ハガルにアブラムの元に戻り、女主人サライにへりくだり仕えるように語られました。もし、自分がそのような職場にいたとするなら、戻りたいと思えるでしょうか。しかし、ハガルは神のことばに従ったのです。
アブラムを祝福し導いた主が私を見て、苦しみの叫びをも聞いていて下さっていることを彼女は理解しました。また、「神は聞かれる」と神さまが名付けられたいのちが彼女の胎の中で生きていることが、どれほど彼女を力づけたでしょう。
イエスさまは、アダムの背きによりいのちの息を失った人間に、再びいのちの息である聖霊を与えてくださいました。十字架で全ての罪を贖って死に、三日目によみがえってくださった救い主イエスさまが私たちに遺して下さったいのちです。
そのいのちは枯れることがありません。神に背いていた罪を悔い改め、主イエスを救い主と信じるならあなたを死から命に移す永遠のいのちが与えられるのです。
この地上には多くの苦しみがあります。ハガルのように、理不尽な評価をされたり、意地悪をされたりということもあるでしょう。味方が一人もいないと感じるようなこともあるでしょう。病になることもあるでしょう。しかし、神さまはあなたを見ておられ、あなたの叫びを聞いておられます。
ハガルは主の使いと出会った泉の井戸にベエル・ラハイ・ロイ、「主は生きて見ておられる」と名付けました。神は遠い存在でなく、彼女を見ておられ、生きて働いておられる方だと理解したからです。だから彼女は自分の思いを捨て、向きを変えて戻り、アブラムとサライに仕えることができました。
神さまは遠くからあなたを見守っているのではなく、あなたと共におられ、あなたの内で生きておられます。どのような状況にあっても、聖霊があなたに揺るがない平安と生きる喜びを与えてくださいます。イエスを主として生きる人生は、そのようなものです。主は生きて、あなたを見ておられます。
『見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。』
(詩篇121:4)
(文責:朋子)
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