『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。』(へブル12:2)
いま、私たちは信仰の世界ではなく、現実の世界で生活しています。すべては有りのままです。能力も体力も経済力もそのままです。これを変える方法はただひとつ、本人の能力に従って努力するしかありません。これが現実世界のシステムです。
現実世界では人間の努力によって、すべてができると考えています。これが人本主義です。そして、この人本主義によって神様を求めているのが、この世界の宗教です。そのため、修行を積んで自分を聖くし、自分の義によって救いを得ようとします。しかし聖書は、自分の義によって救われた者はひとりもいないと告げています。人はみな罪人であり、神様からの栄誉を受けることはできないのです。(ロマ3:23)
このような世界の中に信仰の世界を完成してくださったお方がキリスト・イエス様です。クリスチャンとはイエス様に従って、信仰によって生きる人々です。ですから、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さないようにしましょう。
イエス様は郷里ナザレの会堂でイザヤ書61章を開いて、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(ルカ4:21)と宣言をし、信仰の世界をこの世界に開いてくださいました。これが福音です。すなわち神様からの良き知らせです。
イエス様は、信仰の世界を実証するために、水をぶどう酒に変え、病人を癒し、嵐を静め、死人をよみがえらせ、空腹の者にパンを与えました。そして、「信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9:23)と告げています。
最後に、イエス様はこの世界に信仰の世界を確立するため、自ら十字架に上り、聖なるご自分の命によって、人間の罪の代価を支払い、「完了した。」(ヨハネ19:30)と叫んで、信仰の世界の完成を宣言してくださいました。
いま、クリスチャンは生まれも育ちも、能力も関係なく、「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(Ⅰペテロ2:9)ハレルヤ。アーメン。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。』
(ヨハネ14:12)
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