『サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。』
(創世記16:2)
アブラムがカランを出てから10年が経ちましたが、子は産まれていません。当時の風習にならい、サライは自分の女奴隷ハガルをアブラムに与えて母になろうとしました。
飢饉から逃れるためにアブラムたちが訪れたエジプトで、ハガルは奴隷とされたと考えられています。アブラムもサライも、まだ見ぬ神さまの約束を信じながらも、その道のりを勝手に解釈し先走りました。しかし、良かれと思ってした行動は良い結果を招かなかったのです。サライとハガルは争い、夫婦の関係も悪化しました。
神さまから与えられた計画は良い実を結びます。しかし、神さまの計画の前に自分が先立って種をまくなら、肉の実を結びます。肉が結ぶ実は滅びです。アダムとエバを思い出すなら、神さまの計画に背いた結果は死でした。神さまの約束を超えてまで自分が望む祝福を得ようとしたのに、結果は真逆です。
けれども感謝なことに、神さまは道を誤ったサライのことも見捨てられませんでした。神さまのことばは虚しく地に落ちないからです。主の約束通り、サライから産まれたイサクこそが神さまの祝福を相続し、彼の子孫が祝福を相続しました。
同様に、主イエスを信じ、聖霊により新しく生まれる者こそが約束の子です。私たちは永遠のいのちという、最も素晴らしい祝福を相続し、この祝福を次世代につなぐ相続人です。
アブラムとサライのように自分の計画や努力によって、自分が望む祝福を得ようとするも、 結果が見えずに虚しさを覚えることがあるかもしれません。
サライは思い通りにいかない状況の中でハガルをいじめるために手を使いました。しかし、私たちに与えられている手は人を陥れるためのものではありません。全ての源である天の父の祝福の計画がこの地になるように祈るためのものです。
困難の中でも、涙と共に種をまくなら、喜び叫びながら刈り取ります。その実りは豊かです。健康や経済状況、人間関係など、問題を抱えておられる方もおられるでしょうか。目に見える状況に焦って行動することなく、神さまの時を期待して祈り、待ち望みましょう。天の父があなたに対し立てておられる計画は、平安を与え、希望と将来を与えるものだからです。
『主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない。』(箴言10:22)(文責:朋子)
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