『わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』(ヨハネ14:27)
人は栄耀栄華に暮らしても、その心に不安と恐れがあるならば、その人は幸福とは言えません。心の中にある平安こそ真の幸福の要素です。
しかし、人は生まれた時から不安と言う心の病を負っているのです。それは時間と環境に支配されているからです。
そればかりでなく人は常に罪責感を持っています。それは誰一人罪を犯さない者はいないからです。罪と良心は直接つながっていて、人は良心の責めに苦しんでいます。
また、人は人生の意義を失って不安を抱いています。人は誰でも自分が愛され、また愛する人を望んでいます。そしてこのようなものを持っていない人は不安を感じるのです。最後に、人には死に対する不安があるのです。
このような不安が解決されなければ、いくら立派な家に住んでも本当の幸福は得られません。どうすればよいのでしょう。
これらは、イエス様によって解決することができるのです。イエス様は処女マリヤから生まれ罪のないお方でした。しかし、
私たち罪人を愛し、私たち罪人の身代わりとして、十字架にかかり死んでくださいました。それでイエス様を信じる者は罪の罪責感から解放されるのです。
イエス様は十字架に釘打たれ、死なれ、葬られ、三日目に死を打ち破ってよみがえられました。このお方が、この世の終わりまで私たちと一緒にいてくださると約束されているのです。
イエス様と共にいれば不安から解放されます。そして、死に勝利されたイエス様は、私たちを死の不安からも解放してくださいます。
そればかりか、イエス様は時間を超越し、未来に対して希望と確信を与えてくださいます。聖書は、イエス様を信じる人は、「誰でも神様の子どもとされる特権が与えられている。」と告げています。人生の意義はここから始まります。イエス様のように生きようではありませんか。ハレルヤ。アーメン。
『どうか平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように、どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。』 (Ⅱテサロニケ3:16)
Комментарии