『その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。』(創世記15:6)
生贄をふたつに切って向かい合わせにし、その間を契約の両方の当事者が通ることで、当時の契約は結ばれました。裂かれた体と流された血は、命をかけた契約を意味します。
エレミヤ34:18にあるように、契約を破ったらこの生贄と同じように自分が裂かれなければなりません。アブラムは自分の体が切り裂かれる恐怖に襲われました。今だかつて、神さまとの約束を完全に守り切れた人間などいないからです。
神さまはアブラムを深い眠りに入れ、幻を見せられました。けむりの立つかまどと燃えるたいまつが、生贄の間を通りました。火は主のご臨在を意味します。神さまだけがこの契約の当事者となられ、一方的に契約を結んでくださったのです。
ですから、アブラムが契約を破ったために体が裂かれることはありません。神さまからの一方的な祝福が与えられたのです。
さて、今日は棕櫚の主日で、イエスさまがエルサレムに入城されたことを記念します。イエスさまは民に「ホサナ、ダビデの子に」と来るべきメシアとして迎えられました。しかし、実際には、主が十字架にかかる子羊となられるためでした。
イエスさまは十字架にかかり、体を裂かれ、血を流し「新しい契約」を与えてくださいました。イエスさまの血は、私たちを永遠の死に導く全ての罪を洗い流してくださいました。
神さまから離れていた罪を悔い改め、イエス・キリストの十字架の贖いによる救いを受け取るなら、価なしに義と認められます。そして、アブラハムへの祝福を受ける者とされ、約束の御霊を受けるのです。
たいまつの契約は神さまによる一方的な恵みの契約でした。同様に、この新しい契約もイエスさまによって与えられた、一方的な恵みの契約です。
父なる神は失われた子を回復するために、偉大な計画を立てられました。イエスさまは父の心に従い、愛の計画を完成するためにエルサレムに入り、十字架への道のりを歩かれたのです。
それは、人間には耐えられない苦難の道のりです。しかし、イエスさまは愛のゆえに、私たちに変わり成し遂げてくださいました。棕櫚の主日からは受難週となります。この計り知れない主の愛と恵みを深く味わいましょう。
『キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。』
(ガラテヤ1:4)
(文責:朋子)
Comentarios