『ところが父親は、しもべたちに言った。「急いで一番良い着物をもってきて、この子に着せなさい。それから、指に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」』
(ルカ15:22)
今日の聖句はルカ十五章、放蕩息子のたとえからです。イエス様が罪人と食事をしているのを見た、パリサイ人やサドカイ人が「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」と批判したことへの応えです。
ある人に息子が二人いました。弟が父に財産を分けてもらい、遠い国へ行って放蕩をし、湯水のように財産を使い、何もかも失って生活に困り、はじめて我に返ったのです。
彼は父のところに帰り、「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇人のひとりにしてください。」と謝ろうと父のところへ行きました。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、走り寄って彼を抱き、口づけをしました。弟が、「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、…」の続きが今日の聖句です。パリサイ人を代表するお兄さんより、罪人である弟が先に救われているのです。それでは、救われた者の権利とは何でしょう。
第一番は、一番良い着物です。パリサイ人ばかりでなく、私たちも神様は正しい人を救われ、罪人を罰する。と思っています。そのとおりです。しかし、神様に救われるほど正しくなることは人にはできません。人は生まれながらの罪人であり、罪人が正しい行いをしているにすぎないのです。
聖書は「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ3:27)と宣言しています。それで洗礼を受けた人はみな、キリストの義を着ているのです。
第二番は、指輪です。「パロはヨセフに言った。『さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。』そこでパロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、…」(創世記41:41-42)指輪は権威の象徴です。ハレルヤ。
第三番は、靴です。エペソ書六章十五節に、「足には平和の福音の備えをはきなさい。」とあります。イエス様の十字架を通して与えられた。神様との平和と、福音の靴をはいて、艱難と苦しみの世界を踏破していきましょう。アーメン。
『あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。』(ルカ15:10)
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