top of page
執筆者の写真クリスチャン親和会

礼拝メッセージ(2021/2/7)

『モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。』(ヨハネ14-15)


 ニコデモは律法学者であり、リーダーでした。彼は人々から尊敬を受けていましたが、彼の心にはいつも不安がありました。それは律法を愛し、守ろうとすればするほど、自分の罪を示されることから来ました。それで、彼は夜イエス様を訪ねました。そのニコデモにイエス様は言われたのです。

 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ません。」(ヨハネ3:3)

 それを聞いたニコデモは理解することができませんでした。それでイエス様は、たとえをもって答えられました。それが、今日の聖句となっています。

この言葉は、イエス様が十字架につけられた時にこそ、この問題の答えがはっきりするということを暗示しているのです。

 キリストが十字架にくぎ打たれ、あの蛇が上げられたように上げられなければ、次のことは起こり得ないのです。

 第一に、私たちの新生はあり得ません。肉によって生まれた者は肉です。肉以外の者になることはできません。ニコデモは地位があり、名誉があっても、肉なる者です。人は霊的に新しく生まれなければならないのです。キリストの十字架の死によって、私たちは上から、いのちの霊を受け、新生を体験することができるのです。

 第二に、私たちの罪の許しと、きよめはあり得ません。キリストは十字架の上で、私たちの罪をすべてご自身の身に負われ、血を流して死んでくださることによって、罪の許しときよめを勝ち取ってくださったのです

 第三に、神様の愛を知り、体験することはあり得ません。キリストの十字架に神様の愛が輝いているのです。そこに私たちに対する神様の愛が明らかにされたのです。十字架をなくして、神様の愛を知り体験することはあり得ません。

 私たちの救いは十字架にあるのです。それゆえ、人の子は上げられなければならないと言われたのです。ニコデモのように、律法を学び人々の尊敬を受けても、救いはないのです。ただ、イエス・キリストの十字架により頼むとき、私たちは永遠のいのちの救いを受けることができるのです。ハレルヤ。


『割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。』(ガラテヤ6:15)

閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示

礼拝メッセージ(2021/12/26)

『言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」』(創世記24:27) 年齢を重ねたアブラハムは、イサクの花嫁探しを始めます。これは、神...

礼拝メッセージ(2021/12/19)

『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』(ヨハネ1:9) クリスマスおめでとうございます。二千年も誕生を祝われ続ける特別な存在はイエスさまです。このお方はすべての人を照らすまことの光としてこの世に来られました。...

礼拝メッセージ(2021/12/12)

『彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。』 (マルコ5:27-29)...

Comments


bottom of page