『そして、彼は全ての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。』(創世記14:16)
「類は友を呼ぶ」と言いますが、ロトが選んだ低地には豊かさを求める人々が集まっていました。そんな時、エラムの王ケドルラオメルと争いが始まりました。彼に反旗を翻したソドムとゴモラも、豊かな富を狙って攻められました。ソドムに住んでいたロトは戦いに巻き込まれ、財産を奪われ虜になりました。
アブラムにロトを助ける義理はありません。アブラムとロトのしもべたちは争い、ロトは年長者のアブラムを正しく扱いませんでした。彼らの道は分かれました。
けれども、山地に女性や子供、家畜を残し、危険に晒してまでも、アブラムはロトを助けました。アブラムにとって、ロトは親類であり、兄弟のようであり、まだ子のいないアブラムにとって息子同様に愛したであろう存在だったからです。
アブラムは戦いに勝利し、全ての財産と奪われた人々を取り戻
しました。シャレムの王メルキゼデクは王であるのに、戦いから戻ったアブラムを出迎え、パンとぶどう酒でねぎらいました。そして、祭司である彼はアブラムを祝福し、主にある勝利であると神を褒め称えました。
メルキゼデクはイエス・キリストの予表です。ソドムの王は戦いから逃げていました。さらに、アブラムが戦いに勝利した時には、アブラムに富を与えることによって自分の権威を高く掲げようとしました。しかし、義の王、平和の王であるメルキゼデクは違います。この出会いは、アブラムが地上の王を拠り所にするのでなく神さまを信頼する心を強くしたでしょう。
神さまはご自分が創造した人間を愛し、神の子としての立場に回復したいと願っておられます。悪者も滅びることを喜ばず、悔い改めて生きることを喜ばれる方です(エゼキエル18:23)。
そして、父の心を知る人イエス・キリストは、人と同じ姿となり長子となり、人間の罪の贖いのためにご自分の命を十字架で捧げられました。
私たちの置かれている教会でも、様々な性質の人が集まります。様々な弱さも見えるでしょう。しかし、私たちは石を投げ合う者ではありません。生けるパンであるイエス・キリストのことばを共に分かち合う神の家族です。
神であるのに私たちのところに来て、永遠の命を与えてくださった主のみことばと御霊によって、一つのからだとして生かされ続けましょう。
『平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。』(エペソ4:3)
(文責:朋子)
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