『そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。』(創世記13:18)
アブラムに再び試練がやってきます。愛する甥のロトとの関係です。アブラムもロトも主に祝福されました。しかし、祝福が豊か過ぎて一緒の場所では家畜を養えず、しもべの間に争いが起こったために、別々の道を歩むことになったのです。
通常、年長者であるアブラムが先に移住先を選択しますが、アブラムはロトにその権利を与えました。試練を通して主のあわれみを体験し、祝福の約束が変わらないことを確信したアブラムは、目に見える祝福ではなく神さまを信頼したからです。
一方ロトは、自分のためにヨルダンの低地を選びました。水量が豊富で主の園のように、エジプトのように潤う地です。ロトはアブラムと共にいて神さまの祝福を味わっています。しかし、目に見える豊かさを自分の心の拠り所とし、目に見えない神さまこそが全ての源ということを理解していませんでした。
ぶどう園の二人の息子のたとえ話では、口先だけで神さまを敬う者でなく、神さまのことばを聞き、従う者が父なる神の国を継承することが分かります(マタイ27:28-32)。
祝福は人の選択によってもたらされません。神さまの選びによります。そして、神さまに召された者として前進し続けるなら、荒野であっても祝福を味わいます。ですから、そのように歩むアブラムに対し、彼が見る所・歩む所を、彼が所有して祝福を流す場所となると神さまは明確に祝福を語られたのです。
私たちもアブラムのように神様から離れていた状態から回復されました。それは、十字架で全ての罪を贖ってくださったイエスさまを、聖霊さまの導きによって救い主と信じ、告白したからです。私たちがイエスさまを救い主として選んだのではありません。主が私たちを選んでくださったのです。
主は私たちの前を歩み、しんがりとなって私たちを導かれます(イザヤ52:12)。さらに、あなたを恵もうと待っておられ、右に行くにも左に行くにも後ろから「これが道だ、ここに歩め」と声をかけてくださるのです(イザヤ30:18-21)。
アブラムのように主に信頼して前進するなら、主があなたに与えられた場所で、あなたは祝福の基とされます。山地も荒野でさえも豊かにされる程に豊かな祝福です。主は良いお方です。あなたに対する主の確かな選びを、喜んで受け取りましょう。
『まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。』
(イザヤ55:1)
(文責:朋子)
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