『わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。』
(創世記22:17)
アダムが善悪の知識の木の実を食べて以来、人間は神さまから離れ続けています。自分が一番自分のことを理解している。自分が望むままに進めば、祝福と幸せの中に入っていける。しかし、実際はどうでしょう。全ては滅びへと向かいました。
アダムの子カインは、妬みから弟を殺しました。レメクは自分の欲望を優先し、一夫多妻を選び自らの手で復讐をし始めました。結果、地上に人の悪が増大し、洪水がもたらされました。
神の言葉を聞かずに自分の思いを優先する生き方は、自分自身だけでなく、周囲も巻き込んで滅びから滅びへ進みました。
ノアの洪水では神の呼ぶ声に応答したものが救いを得ました。滅びに至る門は大きく見えますが、いのちに至る門は狭く、見出す者はわずかです。大きな方舟は皆の目に明らかでしたが、神の声を聞かない人々の目には愚かに映ったのです。
黙示録3:9にある通り、サタンは今も全世界を惑わし、滅びに導こうとしています。自分の感情のままに進めば良い、それが「幸せ」なのだ。神との和解など必要ないと。
主題聖句の通り、アブラハムの子孫であるイエス・キリストが十字架で敵の門を勝ち取りました。神から離れ続けた人間と神との和解を完成し、いのちの道を示したのです。
キリストは、神と人を和解に導くと同時に、和解の務めを私たちに任せられました(2コリ5:18)。イエスさまが異邦人にも開いてくださった信仰の門(使徒14:27)を人々に告げ知らせるように、キリストの使節として私たちを用いられるのです。
キリストの愛に捕らえられ、キリストの体の一部とされた私たちにはキリストの性質が注がれます。それは、ご自分を裏切った人間を赦そうと自らのいのちを世に与えた愛です。
ともすれば、自分を第一としたカインやレメクのように争いや混乱を招く肉の弱さを、私たちは持っています。しかし、枝がぶどうの木に接木され良い実を実らすように、イエスさまのからだの一部とされた私たちを通して人を赦し受け入れる愛が実るのです。教会はまさにその表れです。神の召しと選びにより一つにされたキリストの体にとどまり続けましょう。
『私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。』 (エゼキエル36:26)
(文責:朋子)
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