『もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私がきょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。』(申命記28:1)
人はだれでも祝福されたいと願います。家を建てるにも墓を選ぶにも方角を気にし、呪いを恐れるのです。しかし、聖書の祝福はそのような物理的なものによるのではないと言います。
聖書は、祝福は人に従ってくると告げています。このことはイスラエルの歴史を調べて見ますとよくわかります。
イスラエルの民が神様に祝福された民として、カナンの地に向かって出発したとき、どんなことが起こったでしょうか。
彼らが紅海の前に来たとき、紅海の水が二つに割れ、彼らはそこを歩いて渡ったのです。エジプトの軍隊はイスラエルの後を追いましたが、渡ることができず、全滅しました。
また、彼らが砂漠の中を進んでいくとき、神様は天からマナを降らせて糧を与え、岩から水を出して渇きをいやされました。彼らの前進を妨げるエリこの城塞は破壊され、彼らに約束の地カナンが与えられました。このように、彼らが歩むところは、どこでも神様の祝福が伴ったのです。彼らはよく神様に仕え、戒めを守って、神様に祝福される条件を守ったからです。
しかし、彼らがカナンの地に入ってから、いつのまにか偶像を礼拝するようになり、彼らは神様に祝福される資格を失いました。
やがて、天からは雨が降らなくなり、草木は枯れ、大飢饉が襲ってきました。国は乱れ、外からは攻撃を受け、ついには、バビロニヤに滅ぼされ、民は捕囚となりバビロニヤに連れていかれました。
このような歴史的事実を見るとき、祝福は自然環境の影響を受けるのではなく、人に伴って来ることが分かります。
イスラエルの民は神様の御声によく従い、主のすべての命令を守り行っていたとき、大いに祝福されましたが、神様に逆らった後には、呪いが彼らの上に臨んだのです。
私たちもこのことをよく覚えて、神様に祝福された者となりましょう。神様は私たちを町にあって祝福し、野にあって祝福し、子供たちを祝福し、農作物も祝福してくださいます。そればかりか、入るときも出る時も祝福してくださいます。ハレルヤ。
『悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、帰って祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。』(Ⅰペテロ3:9)
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