『わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。』(黙示録22:13)
「今日は人生の意義です。」聖書に、「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守るものは幸いである。」(箴言29:18)とあります。人生に、目標が描けなければ、その人の人生は迷走すると云うのです。
そして、人生の真理を知ることなく、人生を迷走のうちに終える人が多いのです。私もその中の一人でした。しかし聖書によって真理を知りました。孔子は「朝に真理を知れば、夕べに死すとも悔いなし。」と真理を求めました。
事実、人生の意義を知ることは、死と命に関わることです。申命記30:19には、「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人にたてる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなもあなたの子孫も生き、」と記されています。いのちを選びましょう。
聖書の巻頭に、「初めに、神が天と地を創造した。」と宣言されています。そして今日は巻尾の聖句が宣言されています。私たちが、今日ここにいるのは偶然の結果ではないのです。神様は初めを造り、終わりを完成してくださるのです。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」とエレミヤ29:11で主が告げているとおりです。
御子イエス様は、父なる神様によって万物の相続者として立てられています。そして、私たちも福音によって、キリストと共に共同の相続人とされているのです。その保証として私たちは「アバ、父。」と呼ばわる聖霊様の証印を押されています。
万物は、相続者である私たちのために存在しているのであり、万物のために私たちが存在しているのではありません。金銭は私たちのために存在し、金銭のため私たちが存在しているのではないのです。私たちは何処にいても主です。
母の胎の前から、私たちを選び、万物の相続人としてくださった。父なる神様の御前を、神様の子どもに相応しく歩もうではありませんか。ハレルヤ。アーメン。
『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。』(ロマ8:18)
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