『パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。』(創世記12:20)
約束の地に入ったアブラムに飢饉という試練が待ち受けていました。彼は飢えと死に対する恐怖からエジプトへと向かいました。乾燥した神さまの約束の地よりも、ナイル川の水源により豊かな実りを約束されたエジプトに魅力を感じたからです。
しかし、当時神を恐れない国には、夫を殺害してでも美しい女性を王が召し抱えるということがあったそうです。
恐れに支配されたアブラムは、わなにかかりました(箴言29:25)。自分の身を守るために、異母兄弟であり妻であるサライに、妻である事実を隠させました。エジプト人に美しさを認められたサライは王の宮廷に召し入れられました。
しかし、神さまがご介入され、パロは真の神さまを畏れました。そして、パロはアブラムに与えた財産を取り上げることなく、彼らを約束の地に送り返しました
昔、ユダヤ社会では汚れた土の器は、割って捨てられました。汚れが染みて、器全体が汚れるからです。神さまは聖であり、聖さを求められます。しかし、神さまはご自分が結ばれた契約の故に、ご自分に背を向けたアブラムを助けられたのです。
神でありながら人となられたイエスさまが、唯一汚れの無い土の器です。すべての人は、アダムの罪が染みて汚れた土の器です。しかし、罪のないイエスさまが完成された十字架の贖いを受け入れるなら、その汚れた土の器はキリストの福音という宝を収める器となるのです。
その宝を持つ者は、四方八方から苦しめられても窮せず、行き詰まることなく、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません。私たちが今直面している苦難に神さまが働いてくださり、イエスさまが今も生きておられることを体験します。
主に導かれてアブラムは約束の地に戻り、そこにテントの柱をしっかりと打ち込んで定住し、一番の祝福であるイサクを受け取っていきます。
イエス・キリストを信じたことによって受けた聖霊さまによって、私たちは偽りではなく真理を知るように導かれています。祝福の基であるイエス・キリストの福音を宝としてお迎えし、持ち続けましょう。私たちを永遠に変わらない祝福にしっかりと根づかせてくださる唯一の希望です。
『この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました』(ヘブル6:19−20)
(文責:朋子)
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