『そのころ、主がアブラムに現れ、そして、「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。』
(創世記12:7)
アブラムは主のことばに従い、ヨルダン川を超えてカナンを目指し、シェケムのモレの樫の木で神さまと出会いました。現れてくださった神さまに、アブラムは祭壇を築きます。
モレの樫の木の場所はカナンの偶像崇拝の場所でした。井戸や泉もあり、旅路の休憩のためにアブラムはその地を訪れました。偶像崇拝が目的ではありませんでしたが、アブラムに偶像職人の父テラに養われていた昔を思い出させたことでしょう。
自身に現れてくださった神さまに対し、アブラムは祭壇を築いて献身の心をあらわしました。そして、進んだ地でも神さまの名を呼んで礼拝しました。アブラムは主を体験し、主を崇めたのです。そして、以前の定住する暮らしでなく、主に導かれるまま進む生活に、主ご自身がアブラムを招かれました。
シェケムはイスラエルが神さまとの関係を回復され続けた特別な場所です。祝福とのろいの契約を結ぶ場所(申命記11:29)であり、ヨシュアたちが主に従順することを新たに選んだ場所(ヨシュア24:1)でした。
古い生き方から救われて洗礼を受けても、アブラム同様、異邦の民の頃に引き戻される弱さが人間にはあります。しかし、あなたを神さまは見捨てません。イエス・キリストの十字架のあがないにより神さまとの関係を回復され、神の民とされているあなたを、イスラエルを回復し続けてくださったと同様にご自分のもとに引き寄せようとしてくださる方です。
弱さを覚えること、過去に引き戻されそうになること、それ自体は失敗ではありません。その時に主の語り掛けを聞き従うなら、あなたの人生は回復されます。『あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。』(箴言3:6)とあるとおりです。
マレの樫の木は偶像崇拝の場から真の神を礼拝する場に変えられました。私たちもイエス・キリストにより、真の神を礼拝し、主の栄光をあらわす者と変えられています。アブラムに神さまが現れたように、あなたにも主は語り掛け続けておられます。主の語りかけに応答していきましょう。
『シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』(イザヤ61:3)
(文責:朋子)
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