『カインは主の前から出て行って、エデンの東、ノデの地に住んだ。』 (創世記4:16)
カインは神さまの前から去ってノデ(放浪者、意味や目的のないこと)の地に住み着きました。子孫も生まれ、繁栄しているように見えます。レメクの息子たちは現在の産業の発展の基となっており、彼らには十分祝福があるように見えます。
しかし、真の祝福は主がおられるところにあります。イスラエルの民が契約の箱、神さまの臨在に導かれて約束の地に入った通りです。それこそが神の国を生きる者の生き方です。
カインとその子孫は真逆の道を行きました。人の努力によって必要なものが満たされるシステムを作りました。また、レメクは妻を二人めとり、神の声でなく自分の声で妻を支配するという男尊女卑の文化を作ります。
さらに、神さまがカインを守るという約束に代わり、自分が77倍の復讐をすることを選びました。人を支配し、復讐するというサタンの国の生き方を彼らは選んだのです。
カインの子孫は勢力を増しましたが、神さまは神の国を受け継ぐ者として、アダムに新しい子セツを与えられました。子どもは希望の基です。エデンの園を追われ、二人の子を「失った」アダムとエバに、神さまは光を与えられました。
セツの子、エノシュが生まれると、彼らは主の名を呼んで祈るようになりました。彼らはエデンにはいませんが、祈りによって神さまと交わり、主との関係の回復を与えらました。
その子孫から、主の心にかなったノアが生まれ、アブラハム、イサク、ヤコブを通して神の国の再建が続きました。その家系からイエス・キリストは生まれます。
良いものを求め自分自身が努力し続けるとき、疲弊します。人に支配されるとき傷つきます。反対に人を支配し復讐し傷つけることもあります。この地上における人間の弱さです。しかし、それら全ての傷に対して、主イエスは十字架上で赦しと癒しをすでに完成してくださっています。
主イエスは十字架で贖いの血を流してくださいました。その血は、神から離れて神なしで生きるものを買い戻すために流された血です。主の御名を呼ぶものはみな救われ(ローマ10:13)主イエスの名を呼び求める者は、主イエスにより聖なる者とされ、主の民とされるからです(1コリ1:2)。
主の御名によって祈り救われ、子孫の救いと祝福を見ることができるという神の民の祝福の中に、異邦人であった私たちも、主イエスによって入れられています。これこそ真の祝福です。主イエスにある希望と恵みを受け取り続けましょう。
『私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。』(Ⅱコリント4:18)(文責:朋子)
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