『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖いだしてくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。』(ガラテヤ3:13)
コロナウイルスでパンデミックの中、今年最後の聖日となりました。皆様の上に主の祝福が豊かにありますように。
今日聖句は律法の呪いから贖いだしたと告げています。では、律法とは何か。聖書に「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』と言う一語をもって全うされるのです。」(ガラテヤ5:14)と記されています。
では、私たちは隣人を愛することができるのでしょうか。実のところ人間の愛は自己愛であって、人を愛する愛ではないのです。そのため、自分の理想の中に相手がいるうちは良いのですが、自分の理想から出る時は相手を殺す自分本位の愛です。
本当の愛はイエス・キリストのうちにありました。イエス様は私たちを救うため、ご自分の罪なき体を十字架につけ、ご自分を呪われたものとして、私たちの呪いを受けてくださいました。
私たちはこのイエス・キリストを信じる信仰によって救われているのです。復活のイエス様は、いま信仰によって、私たちの心に住んでいます。そのしるしが霊の言葉である異言です。
聖書は「このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」と14節で告げていますが、その約束は、いま私たちに実現しています。
一般的に、キリスト教は愛の宗教であると言われています。誠にそのとおりです。愛の人キリストが私たちの心にいるならば、私たちはキリストの愛をもって人を愛することができるのです。キリストが私たちを愛してくださったように、私たちも隣人を愛しましょう。ハレルヤ。
イエス様は病気の呪いも、貧困も、仕事も、人間関係の呪いも、みな負ってくださいました。そればかりか、神様を信じる私たちのために、それらのすべてを益としてくださると言うのです。
まことに、この一年御言葉に守られて、今日の日があります。来年は、今年よりもっと、神様の栄光があらわされる年となるのです。ハレルヤ。アーメン。
『わたしはあなたがたに立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ29:11)
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