『「人はみな草のようで、その栄は、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。』(Ⅰペテロ1:24-25)
人は何のために生きるか悟りがなければ、動物や草木と変わりません。しかし、そのむなしい人生にいのちを与え人を生かすのが、とこしえに変わることがない主のみことばです。
人は世界を治め、従わせるため創造されました。しかしその使命を失い、人は、この世界に支配されています。福音はこの世界の支配から脱出し、逆に、世界を支配する方法を教えます。
では、どのように支配するのでしょうか。それは信仰によってです。聖書は「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ロマ10:10)と告げています。非常に 単純明快です。みことばを信じ、口で告白すればよいのです。
聖書のみことばを告白する時、そのみことばは生きて働き、
私たちが復活の新しい命を体験するようになるのです。
それだけでなく聖書は、みことばから目を離してはならない。(箴言4:21)と言っています。これは、信仰の目でみことばが現実化されることを見なさいと言うことです。また、これは信仰によって堅く守りなさい、と言うことも意味しています。
「神様、イエス様が私の弱さを背負われ、私の病を担ってくださったことを感謝します。イエス様の恵みによって私は癒され、健康になった自分を見ます。」と信仰の告白をするとき、そのみことばが生きて働き、癒しの力を現わすのです。
ここで参考になるのはイスラエルの民です。彼らは430年、エジプトの奴隷でしたが、モーセに導かれて奴隷から解放されました。しかし、彼らの中カレブとヨシュアの二人以外、約束の地を手に入れることはできませんでした。
確かに、彼らは奴隷ではなく、自由人でした。しかし、彼らは約束のみことばを信じることができず。目に見える所を信じたのです。神様のみことばを選ばず、目に見える現実を選びました。
私たちもイエス様によって、神様の子どもとされています。しかし、この世界で勝利するためには、見える所を選ぶのではなく、みことばを選ぶ必要があります。カレブとヨシュアを見倣いましょう。ハレルヤ。アーメン。
『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。』(ヘブル12:2)
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