『また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。』 (創世記4:4)
エデンの園を出たアダムとエバに二人の子供が生まれました。カインとアベルです。この二人を通して「いのちと死」どちらによって生きるか、生き方が二分されていきます。
いのちを持つ生き方とは神の国を生きる者の生き方であり、神の支配のもとで生きることです。反対に死の生き方とは、サタンの国を生きる者の生き方であり、神から離れたまま、サタンの支配のもとで生きることです。
アベルは最良のものを捧げ、神さまはそのアベルと捧げ物に目を留められました。しかし、カインの捧げ物は神さまに喜ばれるものではありませんでした。神さまにとってではなく、自分の感覚、正しさこそ、彼の「良いもの」の根拠でした。
神さまはカインに声をかけ、回復させようとされました。しかし、彼は神さまの声を聞かず、アベルと自分の扱いを比較し怒りを増幅させました。カインは神さまから顔を背け、ついには実の弟を殺し、サタンの国を生きる者となっていきました。
サタンの国に対し、アベルは神の国を生きる者でした。神の国を生き、相続した者に「全き心」と評されるダビデがいます。彼は罪や間違いも犯しましたが、いつも神さまの声を聞いて悔い改めました。神さまはダビデから離れず、彼と永遠の王国の約束を結びました(Ⅱサムエル7:16)。
そのダビデの子孫であるイエス・キリストは、十字架で罪の贖いを完了されました。その流された血は、異邦人にまで救いをもたらす契約の血です。イエスさまを通してその契約に入れられるなら、神との関係を回復させ、神のことばを心に書き記されます。神の支配の中を、神の国を生きる者となるのです。
イエスさまが捧げられたいのち以上に良い捧げ物などできません。けれども、レプタ二枚捧げた女性の心を喜ばれたように、神さまを第一とする心を主は喜んでくださり、お金や人の評価以上に価値ある永遠のいのちを与えてくださいます。
主に贖われるなら、とこしえの喜びの冠を与えられます。それは現状の暗闇にも勝る永遠に続く喜びです。例え間違いを犯しても、神さまはその度に「それは正しい心で行っているか。」と声をかけて回復してくださいます。神の国をこの地で相続する民として、主の心によって生かされましょう。
『わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。』
(エレミヤ32:39-40)(文責:朋子)
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