『そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはいった。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。』(エゼキエル37:9-10)
今日はペンテコステであり、聖書の中で最も大切な日です。聖書はこの日のために書かれた。と言っても過言ではありません。歴史はこの日のために展開して来たからです。
エペソ1章4-5節を見ますと、神様は世界の創造される前に、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、定めておられました。そのため、地球を人の住みかとして創造した。とイザヤ45章18節で告げています。
地はその目的に従って創造されました。そして、神様は最後に、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれました。それで、人は、生きものとなった。とあります。
しかし、神様は、その人に命じて仰せられました。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)
しかし、初めの人アダムは、善悪の知識の木の実を取って食べました。それで、インマヌエルと言う、いのちの息がアダムから離れてしまったのです。アダムは、霊的に死にました。死人が善行を積んでも死人です。いのちの息は戻りません。
そのため、イエス・キリストは死人を生かすため、神の御姿を捨て、罪人アダムの血筋を避けて、処女マリヤから生まれ、この地に来てくださいました。イエス様は、完全なる神であり、また完全なる人でした。
イエス様の使命は神様と人の間にある罪の壁を打ち砕くことでした。それで、イエス様はご自身の十字架刑によって罪の壁を打ち砕かれました。その証明が十字架刑の死と復活であり、ペンテコステの聖霊様降臨です。
今はだれでもイエス様を信じる人は、いのちの息である聖霊様を受けることができます。「いのちの息よ。四方から吹いて来て、すべての人を生かし、すべての人を神の子とされますように。」ハレルヤ。アーメン。
『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』(ロマ8:15)
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