『更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。』(創世記3:17)
最初の人アダムの罪は、神との断絶をもたらしました。女には産みの苦しみ・夫に支配されること、男には、糧を得るための苦労・労働の苦しみが罰として与えられました。さらに、神と生きる喜びそのものであるエデンの園を追放されたのです。
それは神さま以外の者の言葉を聞いたことから始まりました。エバは蛇の声を、アダムは妻の声を聞いたのです。
ヘブライ語の「聞く(シェマー)」はただ聞くだけでなく、従うという意味も持ちます。自ら行動する意識を持って聞き、聞いた言葉に従うということを意味します。アダムとエバも意識をもって「聞いた」のです。
私たちは様々な声を聞きます。中には、価値のある言葉や心地よい声も多くあります。しかし、まこといのちを与えるのは神さまの声です。全ての創造物を作られたのは神の声だからです。その声こそ、私たちをまことの意味で生かすのです。
いのちの声を聞かず、神さまから離れることを選んだアダムとエバを主は見捨てませんでした。神さまは獣の皮で作った衣を着せたのです。それは血を流し、すべての人に救いの衣を着せるイエス・キリストの救いのわざを意味します。
その救いの道に入るには、再び神の声を「聞く」ことが必要です。信仰の父祖であるアブラハムも神さまの声を聞いたことにより祝福の基とされました(創世記22:18)。
私たちクリスチャンの信仰も、イエスさまの十字架の贖いを聞くことから始まりました(ローマ10:17 )。そして、神さまの言葉を聞き続けることにより、どんな状況の中でも生かされ続けるのです。
罰則のない自粛を、日本に住む人々は「聞き」、感染率が減少し今に至っています。それは不思議なことだと海外からも評価されています。日本のクリスチャンは人口の1%程度と言われていますが、日本の民が神さまの言葉を「聞く」なら、日本のリバイバルは遠くはありません。
オンライン礼拝も多くの人がイエスさまの福音を聞く、良い機会と聖霊さまが導いておられると感じます。この混乱の中にあっても、神さまの声によって、生かされ続けましょう。
『あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。ー』
(エペソ5:9-10)(文責:朋子)
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