『そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」』 (創世記3:4-5)
サタンはアダムの助け手であるエバに、「神のようになれる」と甘い言葉をささやき、神さまが食べてはいけないと言われた善悪の知識の木の実をアダムと共に食べさせました。
彼らは神さまに背きましたが、蛇の言う通り肉体的には死にませんでした。しかし、自分たちが神のように善悪の基準を決め、自分の思うままに、自分のために生きるという「人間中心主義」を選ぶことは神から離れることです。それは霊的な死を意味します。神さまが言われたとおり、彼らは死んだのです。
現在いのちを守るために様々な「自粛」が求められています。一方で、外を歩いている人を通報したり、買い物をする人に買い占めだと激怒したりというケースもあるそうです。それはいのちを守るためという、本来の目的のためでしょうか。
他人を制裁すると脳内でドーパミンが分泌されることから、制裁がやめられない「正義中毒」になる場合があると、脳科学者中野信子さんは言っています。それは「我こそは正義」と人が確信した瞬間に、誰もが陥るものだと言うのです。
それは、アダムとエバが「人間中心主義」を選んだときから、人に受け継がれている罪の性質です。人は目を開かれ、神のようになろうとしましたが、実際は愛なる神を見られなくなり、最も大切ないのちを失いました。アダムの子カインが弟アベルを殺したように、傷つけ合い、争う世になったのです。
しかし、最後のアダムであるイエス・キリストは永遠のいのちを与え、十字架で流された血により平和をつくり、人を父なる神のもとに導くためにこの地に来られました。
主の民として回復された私たちは、サタンのように人をいのちから離す民ではなく、いのちの道を知らせる民です。私たちのうちには、平和を作る主のいのちが与えられています。「人間中心主義」でなく主のいのちによって生かされるなら、「正義中毒」から解放され、神さまの創造物を愛によって治め、管理する本来の生き方に回復されるのです。
イエスさまによって天の父のもとに帰りましょう。回復された私たちは、この地の癒しとすべての人が真のいのちであるイエスさまに出会うために祈るようにと、招かれています。
『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』(Ⅱ歴代誌 7:14)(文責:朋子)
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