『テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。』 (創世記11:31)
バベルで人々が散らされ、人間の栄光を輝かせようという試みは失敗に終わりました。アブラムの父テラと家族は、神さまの声を聞き、豊かなウルを出て、カナンへの旅を始めました。
しかし、テラは旅の途中でカランに留まりました。カランはウルとよく似ており、偶像礼拝が盛んで豊かでした。本来の目的地であるカナンに行く前に、自分が馴染みのある環境、「良い」と理解しやすいカランをテラは選んだのです。
アダムからテラに至るまで、目に見える誘惑に人は弱いことがわかります。頭では本当の祝福を理解していても、目に見える豊かさに心を奪われてしまいます。この弱さを克服するには、誘惑から離れることが必要です。
神さまは偶像崇拝と豊かな生活に浸っていた人々を散らし、その誘惑から離れるようにとカナンの地にアブラムたちを招かれました。アブラムは、慣れ親しんだ文化、父テラから離れました。そして、目に見える豊かさや祝福ではなく、目に見えない神さまからの約束に目を留めたのです。
神さまはアブラハムに「あなたの子孫によって地の諸民族はみな祝福を受ける」(創22:18、使徒3:25)と約束されました。約束の一人の子孫イエス・キリストが十字架で血を流し、三日目によみがえり、永遠のいのちを与える約束を完成させてくださったのです。
主の招きに応えた私たちは、神から離れた古い生き方から出させられ、地上での旅路を歩んでいます。テラの様に目に見える良いものに心を奪われてそこに腰を据えてしまうなら、目に見える祝福で終わります。しかし、それらから離れて、アブラムの様に目に見えない祝福の約束を信じて一歩一歩踏み出し続けるなら、信仰の旅路を走り抜き義の栄冠を受けるのです。
まことの光であるイエス・キリストによって、みことばのともしびによって、私たちの進む道のりは示されています。アドベント、聖餐式は、忘れやすい私たちに見るべきものを思い出させようと神さまが与えてくださった恵みの時です。喜びのシーズンに、主の恵みを受け取っていきましょう。
『私は、あなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます。私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。私はあなたのおきてを喜びとしあなたのみことばを忘れません。』(詩篇119:14-16) (文責:朋子)
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