『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。』(詩23:1)
今日は王ダビデの詩篇から学びます。彼は一介の羊飼いから、大王にまでなりました。彼を大王にしたのは何かを見ましょう。
ロマ書10:10では「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」と告げています。この信仰の定義を忠実に実行したのがダビデでした。
芸術も建築、文化、経済も、すべて人の心にあるものが実現したものです。それで箴言3:23では「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」と告げます。
ダビデは全能の神様の前に、自分を羊と宣言しました。「私は、乏しいことがありません。」そして、「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と宣言しています。「緑の牧場に連れて行ってください。水を与えてください。」と願ってはいません。ダビデは肯定的発言をしているのです。
次に「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」と告げます。それは、神様を信じる人々を神様は責任をもって、義の道に導いてくださると言うのです。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」いま世界は、コロナウイルスによって苦しんでいます。
しかし、私たちの人生にはもっと苦しく、死の谷の陰を歩むこともあるのです。その時、私たちの心からつぶやきが出てきやすいものです。ですがダビデは、その信頼がゆるぐことなく、その災いも、神様が私を導くための道だと言うのです。
そればかりか、「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。」と宣言します。
ダビデは神様によって恐れがないばかりか。この災いを通して神様は私の頭に油を注いでくださる。と宣言します。それは、地位を引き上げてくださると言うことです。
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」ダビデは苦しみの時も、災いの時も、神様から離れず、神様に信頼した人です。それで神様は彼の心に住み、すばらしい幻を与え、それを実現できたのです。ハレルヤ。
『死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。』(箴言18:21)
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