『人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。』
(マタイ20:28)
今日のテーマは、「キリストのように生きる。」です。私たちが、力ある信仰生活を送るには、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様の使命を知らなければなりません。
「キリストは、神のみ姿であられる方なのに、神の在り方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質を持って現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」
「それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」と ピリピ2章は告げています。イエス様の御名は、すべてに勝る御名です。イエス様はこの御名を、私たちに与えてくださいました。イエス様の御名を受け継いで、イエス様の意志をこの世に現していきましょう。
イエス様の御名の力により、神様に仕え、隣人に仕える者となりましょう。今日、この社会と家庭に起こる対立と分裂、憎しみと苦痛は、互いに人を自分に仕えさせようとするところから始まるのです。
イエス様は仕えられるためでなく、仕えるため神の栄光を天において人となってこの世に来てくださったのです。そして、私たちの罪の贖いの代価として十字架にかかり、命を与えてくださいました。十字架は仕えるしるしです。私たちの家庭が先ず互いに仕える模範を示しあう場所となりましょう。
私たちの救いのため、いのちを捨てて私たちに仕えてくださった神様の愛と恵みを感謝し、その愛と恵みに押し出されて、神様と隣人に仕える者とされましょう。イエス様はそのため、この世に来てくださいました。ハレルヤ。
『そこで、イエスは彼に言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これが大切な第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように 愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じように大切です。』
(マタイ22:37-39)
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