『こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。』(マタイ21:10)
この受難節にあって、イエス様を信じる者は、ほかのどんな時よりも、キリストが受けられた全人類を救うための受難について考えなければなりません。今回は、イエス様がエルサレムに入場された出来事を通して考えてみましょう。
イエス様がエルサレムに入られた時、ろばの子に乗って入られました。これは平和と謙遜を表している姿です。当時、多くの人々は、イエス様を政治的なメシアと考え、ローマの支配からユダヤ民族を解放する方であると思っていたのです。
しかし、イエス様は人間の最も根本的な救いのために来られました。イエス様がこられたのは、人類を悪魔の支配から解放するためだったのです。
イエス様はエルサレムに入られるとすぐに、神殿に行かれ、そこで商売をしている人々を追い出し、「『わたしの父の家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのにあなたがたは、それを強盗の巣にしている」と仰せられました。
そして、盲人や足萎えの人をみないやしてくださいました。それで、人々は、「この方はどう言う方なのか。」と疑問を持ちました。ある人は、イエス様をエリヤのような預言者ではなく、また政治家でもないと感じていました。そして、一体どう言うお方なのかといぶかっていたのです。
イエス様は宗教家ではありません。革命家でもありません。また、政治家でもありません。イエス様はキリストであり、生きておられる神の御子です。イエス様は天の御国の福音を通して、罪の赦しと永遠のいのちを私たちに与えてくださり、世の光、地の塩としての力を私たちに授けてくださるのです。
平和の王として入城されたイエス様は、神殿をきよめられ、病人をいやされました。今日も、イエス様は利己主義と貪欲、罪のために汚く染まった人間の霊魂をきよめ、肉体をいやしてくださるのです。
イエス様がエルサレムに入られた時、まず、説教されたのではなく、これらのことをされたことを深く心に留めましょう。
ハレルヤ。
『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』(イザヤ41:10)