『その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」』(創世記2:18)
神さまは人、つまりアダムが一人でいることを良しとせず、助け手が必要だと考えられました。彼は助け手がいない中でも、彼の働きを忠実に行っていました。人が子どもに名前を与えて愛情を表し、その人生に意味を与えるように、アダムも地を治める者として、神さまが創造し「良い」とされた生き物に名を付けて治めました。
しかし、その中から人にふさわしい助け手は見出されず、神さまは、ちりからではなく、男のあばら骨から女を造られました。アダムの体の一部から造られた女がふさわしい助け手とされ、結婚により二人は再び一つとされました。
それは一人の夫に一人の妻という神さまの結婚の摂理です。「産めよ、増えよ、地を満たせ」と神さまが人を祝福されたように、この地に神の国を維持し、増やしていくためにです。
恋愛結婚が多い現代で、神の国のために結婚相手も神様が組み合わされたと聞くと、人の幸せと異なるように思えるかもしれません。しかし、アダムは「私の骨からの骨、私の肉からの肉。」と言い、自分の体の一部から造られた女を愛しました。3:20で女をエバ、つまり「いのち」というように呼んでいます。自分のいのちと同じように愛する存在こそが妻です。
「ふさわしい」という言葉は、「彼と等しい」とミシュナーというユダヤ教の註解や議論の中で解釈されているそうです。女は男と同等の力を持つ助け手として造られました。妻は夫に従いますが、夫は妻を奴隷のように支配するのではありません。その逆も然りです。
アダムとエバ以降の夫婦は、肉体的にアダムとエバのように夫から分けられて、再び一つとなったわけではありません。しかし、神さまはご自身のご計画のために、夫婦をふさわしい共に働く相手として組み合わされています。
感情が伴わないときもあるでしょう。しかし、キリストを信じる者に与えられる聖霊さまが、私たちの心を新しく変え続けてくださいます。試練に会うときも、主が私たちの内に忍耐を働かせて、整えてくださいます。「光よ。あれ。」とやみに光を造られた主が、私たちの人間関係にも光を注がれるのです。主の完全なご計画に期待しましょう。
『すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。』(ヤコブ1:17) (文責:朋子)